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2005年12月21日

人気の某女子アナと再会

でも彼女に対して、そのことには触れませんでした。
なぜなら、前回、去年の夏に会ったときはフラッシュエキサイティングの取材での密着取材。それもペンネームの「前田こうじ」で会ったから。昔から彼女に対してはかなり好感をもっているのだけど、そこはいかんせん写真週刊誌だから、なかなか彼女がアピールしたいことをキチンとは取り上げてあげられない。どちらかというと、グラマラスさとかルックスのよさとか、そんな俗っぽいことばかり。でも、やとわれの身としては、当然のように編集部の意向が絶対。というわけで、どうしても雑誌目線の記事を書かざるを得ないわけで、当時まだ女子アナになりたてで、希望と不安に満ちている彼女の精一杯のこちらの取材に対しての受け答えに対して、それをそのままの意で記事にできないことにやや罪悪感なども覚えていました。
結局、その出来事以来、その雑誌の仕事はやめました。自然な感じではあったけど。
思うわけです。
そんな、(結果的に)取材対象者を欺くような写真とか記事とかを載せて何の意味があるのだろうと。
わりと長い間、グラビアの取材も任されてきましたけど、若槻千夏や井上和香、熊田曜子、森下千里など著名な女の子ならまだしも、あまり名を知られていない女の子の場合、どうしても究極的のエロチックな構図をさせられ、それで一時は話題になるけども、その後はやはり品がないということで結局伸び悩んでしまうのです。
女の子みずから希望してやるならいざしらず、ほとんどの場合は女の子をいろんな言葉で騙して撮ります。注目されるから。話題になるから。他の子もやっているから・・・それでそんな結末。
それでは、その子の将来は?未来は?どうなってしまうのでしょう?
タレントを売るプロとして、将来の展望も含めてサポートしてあげるのが当然の義務でしょう?
そして、そんな女の子に対して2次的に騙すことになってしまった編集部の責任は・・・?
私がグラビアをやらせてもらってるときに常に考えていたのは、女の子たちがどう「品」を保てるか?編集部の意向で、たとえきわどいエロチックなポーズをしても、出来上がった写真に「品」が醸し出されればまだ将来的な希望があります。べつに世の男性だって、「品」の悪い子が好きなわけでなく、むしろ圧倒的に品のある女の子が好きなんですから。股を大きく開くことにしたって、「品」の良し悪しがあるハズです。それよりも、どちらかといえば「フェチ」をアピールしたほうがよいのでは?
でも、そんな願いは結局届きませんでした。
より「品」のないポーズ、より「変」な表情を求めて編集部は猛進していきます。写真週刊誌としてダントツの売り上げだけを盾にして・・・
件の女子アナに対する取り上げ方で、ついに疑問から確信に変わったのはまさにそのころです。

きっとグラビア雑誌としての時代の過渡期だったのでしょうね。
過激なものを見せれば読者が喜ぶという妄想。まさに「萌え」文化とは逆のベクトルです。
ただ、企業の論理として、売り上げを減らすことはできないという発想は理解できます。だから、仕方の無いことだったのです。ヒューザーと同じです。

懐かしい女子アナに会って、そんなことを思った今日でした。

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